Column

国際展と多文化主義|建畠 晢 (美術評論家・詩人)

国際展と多文化主義|建畠 晢 (美術評論家・詩人)

大阪・関西万博の会場内で展示されているパブリックアート作品檜皮一彦《HIWADROME: type_ark_spec2》 建畠 晢 (美術評論家・詩人)  大大阪という言葉がある。大正期末に周縁町村を編入し、人口二百万を超えて東京をしのぐ大都市になった時期にそういう通称が生まれたらしい。戦後、1964年の東海道新幹線の開通以降は東京一極集中が進行し70年の大阪万博を除けば往時の勢いが見られなくしまったが、今回の大阪・関西万博は、予想を上回る観客を動員しているようだから、久方ぶりに大大阪の存在感を示したといえそうである。 さて大阪関西国際芸術祭の会場は、その万博会場を中心に11か所に分かれて開催されている。急いで見てまわっても丸2日はかかる規模であって、展示空間の条件も企画内容も、会場ごとに異なっているから、それぞれに自立した展覧会の集合体のような芸術祭といってもよい。万博会場の13点はいずれも屋外作品だが、他の会場は屋内であり、それもホワイトキューブ的な展示スペースからオフィスビル、町屋など多種多様で、周囲の環境や歴史も含めてそれぞれの特質を対照的に浮かび上がらせている。巡り回れば、自ずとあちこちで大大阪ならではのユニークな “アートのある光景” に出会うことになるのだ。   大阪・関西万博の会場内で展示されているパブリックアート作品奥中章人《INTER-WORLD/Cocooner:Apparent motion of celestial bodies》  この芸術祭には「Study」というタイトルが付せられている。さまざまな意味を託しうる言葉だが、私なりに解釈すれば都市の現実の中に挿入されたアートの在り方についてのスタディーであり、地域社会の活性化にアートがどう寄与するかのスタディーであり、また市民のコミュニケーションのツールとしてのアートのスタディーでもあるだろう。まずはそんな期待を抱きながら会場に向かった。 スタディーとしてもっとも魅せられた会場は、なんといっても西成地区であった。同地区の釜ヶ崎はかつては日雇い労働者が住むドヤ街であり、度々暴動が起きたことでも知られるが、高度成長期には大阪万博などの土木工事を支えることにもなった。バブル景気の崩壊後は、高齢の生活保護受給者が多くなり、近年は外国籍の労働者が増加しつつある。この芸術祭は2022年の立ち上げ当初からこうした背景をもつ西成におけるアートの実践を紹介してきたという。   詩人の上田假奈代氏が運営するココルーム  2012年に詩人の上田假奈代が立ち上げた釜ヶ崎芸術大学は、街そのものを大学に見たてて、アートから日常生活にいたるさまざまな分野の活動が展開され、地域住民や旅行者たちが自由に集う、地域コミュニティの核をなしてきた。芸術祭巡りで訪れたに過ぎない私のような者も、単なる観客というわけではなく、その雰囲気の中に受け入れられ、賑やかな展示を見て回ったり、みんなと食事をしたりしてひと時を過ごすという、アンチームな時間の流れを体感することになったのだ。   森村泰昌(美術家)+坂下範征(元日雇い労働者、釜ヶ崎芸術大学在校生)による「Our Sweet Home」   「詩人の部屋〜谷川俊太郎が書き、あなたも書く部屋」 中心となる建物の小さな庭には自分たちで掘った井戸があり、階上では谷川俊太郎の部屋や森村泰昌と地元の方とのコラボレーションの部屋が公開されていたのも興味深い。運営するココルーム(NPO法人「こえとことばとこころの部屋」)は寄る辺のない孤独な人々に寄り添い、共に歩んできた。激変しつつある都市の最中にこんなあたたかな居心地の良い時間を創出しうるのだと知ったことは、私にとっても他では得難いスタディーであった。   山王ハモニカ長屋「喫茶あたりや」  釜ヶ崎の近隣の山王ハモニカ長屋の「喫茶あたりや」も注目に値する。ハモニカ長屋はこの地から姿を消しつつあるが、100年ほど前に建てられ温存されている山王ハモニカ長屋の喫茶店は、文字通りハモニカのように細かく区切られた一軒の一階にあり、カンパ制で運営され、町の住人や滞在するアーティスト、旅行者などとの出会いの場として展開されている。また2階はアジアを対象としたアーティスト・イン・レジデンスになっている。 ここで記しておかなければならないのは、いわゆる国際展における多文化主義の問題である。国際展という場は、国内外の同時代の美術に触れる機会であると同時に、さまざまな国や地域から来たアーティストたちが集って意見を交換し、また滞在して制作、発表することを通じて地域住民とも交流する機会をも提供する。 単一民族、単一言語に近い状況を長く続けてきた日本も、好むと好まざるとにかかわらず近年急速に外国籍の人口が増大しつつあり、多文化主義をどのように軟着陸させるかが大きな課題になってきている。多文化共生社会というお題目を口にするのはたやすいが、実態としては民族、言語、宗教、習慣の違いなどが地域住民とのシリアスな軋轢を生んでいる例が少なくない。多文化主義を受容するには、肯定的な面に目を向けると同時に、それが引き起こす難問にいかに対応するかという方策がセットになっていなければならないのである。 国際展の開催意義の一つは、その点にあると思われる。私たちと異なった文化圏から来たアーティストたちと直接に親密なコミュニケーションを交わすのは難しいだろうが、しかしその場に作品が介在するならば融和的な接点が見出せるかもしれない。あるいはビジュアルな表現の異質性にポジティブな興味がわくかもしれない。フランス近代の詩人、ボードレールは諸民族の美術を展示する美術館の価値を“議論をせずに喜びを分かち合あう”ことにあるとしたが、国際展にも同様なことをいうるのではないか。 多文化共生社会とは均質性を目ざすのではなく、異質性に対する寛容さと融和を目ざすものでなければなるまい。言うは易しだが、しかし国際展とはそのような異質の世界への関心をもたらすための先駆的な役割が期待できるように思うのである。 大阪関西国際芸術祭が西成地区を会場としてきたのは、そのような意味においても高く評価されるべきであろう。もちろん「多様なる世界へのいざない」を掲げる万博会場、「東西南北、文化の交差する町」をうたう船場エクスビル会場などにおいても、同じ意図は通底しているに違いないのだが。   建畠...

国際展と多文化主義|建畠 晢 (美術評論家・詩人)

大阪・関西万博の会場内で展示されているパブリックアート作品檜皮一彦《HIWADROME: type_ark_spec2》 建畠 晢 (美術評論家・詩人)  大大阪という言葉がある。大正期末に周縁町村を編入し、人口二百万を超えて東京をしのぐ大都市になった時期にそういう通称が生まれたらしい。戦後、1964年の東海道新幹線の開通以降は東京一極集中が進行し70年の大阪万博を除けば往時の勢いが見られなくしまったが、今回の大阪・関西万博は、予想を上回る観客を動員しているようだから、久方ぶりに大大阪の存在感を示したといえそうである。 さて大阪関西国際芸術祭の会場は、その万博会場を中心に11か所に分かれて開催されている。急いで見てまわっても丸2日はかかる規模であって、展示空間の条件も企画内容も、会場ごとに異なっているから、それぞれに自立した展覧会の集合体のような芸術祭といってもよい。万博会場の13点はいずれも屋外作品だが、他の会場は屋内であり、それもホワイトキューブ的な展示スペースからオフィスビル、町屋など多種多様で、周囲の環境や歴史も含めてそれぞれの特質を対照的に浮かび上がらせている。巡り回れば、自ずとあちこちで大大阪ならではのユニークな “アートのある光景” に出会うことになるのだ。   大阪・関西万博の会場内で展示されているパブリックアート作品奥中章人《INTER-WORLD/Cocooner:Apparent motion of celestial bodies》  この芸術祭には「Study」というタイトルが付せられている。さまざまな意味を託しうる言葉だが、私なりに解釈すれば都市の現実の中に挿入されたアートの在り方についてのスタディーであり、地域社会の活性化にアートがどう寄与するかのスタディーであり、また市民のコミュニケーションのツールとしてのアートのスタディーでもあるだろう。まずはそんな期待を抱きながら会場に向かった。 スタディーとしてもっとも魅せられた会場は、なんといっても西成地区であった。同地区の釜ヶ崎はかつては日雇い労働者が住むドヤ街であり、度々暴動が起きたことでも知られるが、高度成長期には大阪万博などの土木工事を支えることにもなった。バブル景気の崩壊後は、高齢の生活保護受給者が多くなり、近年は外国籍の労働者が増加しつつある。この芸術祭は2022年の立ち上げ当初からこうした背景をもつ西成におけるアートの実践を紹介してきたという。   詩人の上田假奈代氏が運営するココルーム  2012年に詩人の上田假奈代が立ち上げた釜ヶ崎芸術大学は、街そのものを大学に見たてて、アートから日常生活にいたるさまざまな分野の活動が展開され、地域住民や旅行者たちが自由に集う、地域コミュニティの核をなしてきた。芸術祭巡りで訪れたに過ぎない私のような者も、単なる観客というわけではなく、その雰囲気の中に受け入れられ、賑やかな展示を見て回ったり、みんなと食事をしたりしてひと時を過ごすという、アンチームな時間の流れを体感することになったのだ。   森村泰昌(美術家)+坂下範征(元日雇い労働者、釜ヶ崎芸術大学在校生)による「Our Sweet Home」   「詩人の部屋〜谷川俊太郎が書き、あなたも書く部屋」 中心となる建物の小さな庭には自分たちで掘った井戸があり、階上では谷川俊太郎の部屋や森村泰昌と地元の方とのコラボレーションの部屋が公開されていたのも興味深い。運営するココルーム(NPO法人「こえとことばとこころの部屋」)は寄る辺のない孤独な人々に寄り添い、共に歩んできた。激変しつつある都市の最中にこんなあたたかな居心地の良い時間を創出しうるのだと知ったことは、私にとっても他では得難いスタディーであった。   山王ハモニカ長屋「喫茶あたりや」  釜ヶ崎の近隣の山王ハモニカ長屋の「喫茶あたりや」も注目に値する。ハモニカ長屋はこの地から姿を消しつつあるが、100年ほど前に建てられ温存されている山王ハモニカ長屋の喫茶店は、文字通りハモニカのように細かく区切られた一軒の一階にあり、カンパ制で運営され、町の住人や滞在するアーティスト、旅行者などとの出会いの場として展開されている。また2階はアジアを対象としたアーティスト・イン・レジデンスになっている。 ここで記しておかなければならないのは、いわゆる国際展における多文化主義の問題である。国際展という場は、国内外の同時代の美術に触れる機会であると同時に、さまざまな国や地域から来たアーティストたちが集って意見を交換し、また滞在して制作、発表することを通じて地域住民とも交流する機会をも提供する。 単一民族、単一言語に近い状況を長く続けてきた日本も、好むと好まざるとにかかわらず近年急速に外国籍の人口が増大しつつあり、多文化主義をどのように軟着陸させるかが大きな課題になってきている。多文化共生社会というお題目を口にするのはたやすいが、実態としては民族、言語、宗教、習慣の違いなどが地域住民とのシリアスな軋轢を生んでいる例が少なくない。多文化主義を受容するには、肯定的な面に目を向けると同時に、それが引き起こす難問にいかに対応するかという方策がセットになっていなければならないのである。 国際展の開催意義の一つは、その点にあると思われる。私たちと異なった文化圏から来たアーティストたちと直接に親密なコミュニケーションを交わすのは難しいだろうが、しかしその場に作品が介在するならば融和的な接点が見出せるかもしれない。あるいはビジュアルな表現の異質性にポジティブな興味がわくかもしれない。フランス近代の詩人、ボードレールは諸民族の美術を展示する美術館の価値を“議論をせずに喜びを分かち合あう”ことにあるとしたが、国際展にも同様なことをいうるのではないか。 多文化共生社会とは均質性を目ざすのではなく、異質性に対する寛容さと融和を目ざすものでなければなるまい。言うは易しだが、しかし国際展とはそのような異質の世界への関心をもたらすための先駆的な役割が期待できるように思うのである。 大阪関西国際芸術祭が西成地区を会場としてきたのは、そのような意味においても高く評価されるべきであろう。もちろん「多様なる世界へのいざない」を掲げる万博会場、「東西南北、文化の交差する町」をうたう船場エクスビル会場などにおいても、同じ意図は通底しているに違いないのだが。   建畠...

存在の豊かなる広がり ― Study:大阪関西国際芸術祭 2025「第2章:人・命への考察」に寄せて|三宅敦大 (キュレトリアル・コレクティブ「HB.」共同ディレクター)

存在の豊かなる広がり ― Study:大阪関西国際芸術祭 2025「第2章:人・命への考察」に...

展示風景:photo by  Kohei Matsumura   三宅敦大 (キュレトリアル・コレクティブ「HB.」共同ディレクター)    会場の奥で壁に伏せった女性がいる。彼女はどうしたのだろうかという考えが一瞬頭をよぎるが、すぐにこの展覧会がハイパーリアリズム彫刻の展示であったことを思い出す。そして、女性が作品かもしれないという考えと、生きた人間かもしれないという考えが巡りだす。この時、鑑賞者の脳内にはシュレディンガーの猫1のように2つのリアリティが存在している。   ダニエル・ファーマン《Caroline》(2014)photo by Atsuhiro Miyake  大阪文化館・天保山にて開催されている「リシェイプド・リアリティ:ハイパーリアリズム彫刻の50年」は、Study:大阪関西国際芸術祭 2025の「第2章:人・命への考察」にあたる展覧会である。同展は、27組のアーティストによる39の作品を通して、1960年代後半から70年代前半に始まったとされるハイパーリアリズムの今日までの流れを総観しようとするものである。 この運動の先駆者でもあるドウェイン・ハンソンの《Bodybuilder》(1989-90)や、ヨーロッパにて同運動を牽引したジャック・ヴァーデュインの《Pat & Veerle》(1974)は、そのフォルムや肌の質感、表情の点で非常に精巧な表現をしている。   1:1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した、猫を使った思考実験。箱の中に猫と放射性物質、検出器、毒ガス発生装置を入れ、放射性物質が崩壊すると毒ガスが放出されて猫は死に、崩壊しなければ猫は生き残る。量子力学では観測するまで粒子が複数の状態を同時にとるため、箱を開けて観測するまで猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なり合っていると考えられ、このマクロな対象に量子力学の理論を適用することの不可解さを指摘したもの。   左から:ドウェイン・ハンソン《Bodybuilder》(1989-90)/ ダニエル・ファーマン《Caroline》(2014)/ ジャック・ヴァーデュインの《Pat & Veerle》(1974)photo by Kohei Matsumura  人間のクローンのような作品を鑑賞する体験については、1835年にロンドンに創立されたマダム・タッソー館にある蝋人形たちを想起する人もいるだろう。蝋人形の文化は、デスマスクに端を発していると言われる。そして権力者の偉大さを象徴する目的で活用されたり、解剖学の研究、教育のために活用された事例があげられる。 だが、ハンソンやヴァーデュインの作品を含め、ハイパーリアリズムのモチーフは有名人や神話や宗教に登場するような人物ではなく、現代社会に暮らす一般的な人物であることが多い。この点において、マダム・タッソー館とは明確に異なる。ハイパーリアリズムにとって重要な点は、対象をリアルに表現することであると同時に、人々のリアリティそのものを表現し、リアリティについての思考を喚起することなのである。 この意味で、服を着たままの生きた人間の型取り技法を確立し、人間とそれを取り巻く環境を彫刻作品のモチーフとしたジョージ・シーガルの作品は、モノクロームではあるが、ハイパーリアリズムとルーツを共有していると言えるだろうか。...

存在の豊かなる広がり ― Study:大阪関西国際芸術祭 2025「第2章:人・命への考察」に...

展示風景:photo by  Kohei Matsumura   三宅敦大 (キュレトリアル・コレクティブ「HB.」共同ディレクター)    会場の奥で壁に伏せった女性がいる。彼女はどうしたのだろうかという考えが一瞬頭をよぎるが、すぐにこの展覧会がハイパーリアリズム彫刻の展示であったことを思い出す。そして、女性が作品かもしれないという考えと、生きた人間かもしれないという考えが巡りだす。この時、鑑賞者の脳内にはシュレディンガーの猫1のように2つのリアリティが存在している。   ダニエル・ファーマン《Caroline》(2014)photo by Atsuhiro Miyake  大阪文化館・天保山にて開催されている「リシェイプド・リアリティ:ハイパーリアリズム彫刻の50年」は、Study:大阪関西国際芸術祭 2025の「第2章:人・命への考察」にあたる展覧会である。同展は、27組のアーティストによる39の作品を通して、1960年代後半から70年代前半に始まったとされるハイパーリアリズムの今日までの流れを総観しようとするものである。 この運動の先駆者でもあるドウェイン・ハンソンの《Bodybuilder》(1989-90)や、ヨーロッパにて同運動を牽引したジャック・ヴァーデュインの《Pat & Veerle》(1974)は、そのフォルムや肌の質感、表情の点で非常に精巧な表現をしている。   1:1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した、猫を使った思考実験。箱の中に猫と放射性物質、検出器、毒ガス発生装置を入れ、放射性物質が崩壊すると毒ガスが放出されて猫は死に、崩壊しなければ猫は生き残る。量子力学では観測するまで粒子が複数の状態を同時にとるため、箱を開けて観測するまで猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なり合っていると考えられ、このマクロな対象に量子力学の理論を適用することの不可解さを指摘したもの。   左から:ドウェイン・ハンソン《Bodybuilder》(1989-90)/ ダニエル・ファーマン《Caroline》(2014)/ ジャック・ヴァーデュインの《Pat & Veerle》(1974)photo by Kohei Matsumura  人間のクローンのような作品を鑑賞する体験については、1835年にロンドンに創立されたマダム・タッソー館にある蝋人形たちを想起する人もいるだろう。蝋人形の文化は、デスマスクに端を発していると言われる。そして権力者の偉大さを象徴する目的で活用されたり、解剖学の研究、教育のために活用された事例があげられる。 だが、ハンソンやヴァーデュインの作品を含め、ハイパーリアリズムのモチーフは有名人や神話や宗教に登場するような人物ではなく、現代社会に暮らす一般的な人物であることが多い。この点において、マダム・タッソー館とは明確に異なる。ハイパーリアリズムにとって重要な点は、対象をリアルに表現することであると同時に、人々のリアリティそのものを表現し、リアリティについての思考を喚起することなのである。 この意味で、服を着たままの生きた人間の型取り技法を確立し、人間とそれを取り巻く環境を彫刻作品のモチーフとしたジョージ・シーガルの作品は、モノクロームではあるが、ハイパーリアリズムとルーツを共有していると言えるだろうか。...

アートが拓く知的創造の世界に参加しよう|山極壽一(総合地球環境学研究所・所長)

アートが拓く知的創造の世界に参加しよう|山極壽一(総合地球環境学研究所・所長)

山極壽一(総合地球環境学研究所・所長) 今、大阪ではEXPO2025と連携して「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」が開催されています。「ソーシャルインパクト」をコンセプトに、24の国と地域から100組以上のアーティストが参加して、大阪各地で展覧会や万博会場内で13か所にパブリックアートを展示しています。この取り組みはクリエイティブ・エコノミー(文化芸術、デザイン、広告、ファッション、ソフトウェア等、知的財産を基盤とする産業)を次代の基幹産業と捉え、スタートアップ向けのビジネスコンテストや支援プログラム「StARTs UPs」を実施し、新たな雇用や事業創出にもつなげる、これまでにはない野心的な試みです。ぜひ、どこかの会場をのぞいていただきたいと思います。 船場エクセルビル企画展「Re: Human ─ 新しい人間の条件」より作品 シュウゾウ・アヅチ・ガリバー《甘い生活/乙女座》   そもそも、アートは人類が言葉で世界を理解しようとするずっと前に登場しました。いや、人類以前から存在したと言っても過言ではありません。クジャクの羽を例に出すまでもなく、ライオンの鬣やゴリラの白銀の背など、哺乳類や鳥類のオスには派手な色彩や形を持つ外観が備わっています。これらは、目立っていても外敵にやられずに健康であるオスの強さのアピールとして、メスに選択されてきたことを示しています。しかし、これらは取り外すことのできない特徴です。人間はそれを取り外しの効く衣装として創造したことがアートにつながったのではないかと私は思っています。   人類が最初に手にした人類らしい特徴は直立二足歩行でした。立って歩くことは自己主張でもあったはずで、その後に現れた様々な石器はやがて左右対称の美しい形になっていきました。中には使用痕のない石器もあり、これらはシンボルとしての機能を持つようになったと考えられます。   人類の脳は200万年前にゴリラの脳サイズを超えて大きくなり始めますが、これは集団規模の拡大と同期していたと言われています。つまり、仲間の数が増え、活動範囲が広がる中で、そこに無いものを想像する力が増加し、見えない世界を解釈したいという欲望が強まったのです。アートの制作もこのパラレルワールドへの願望を反映していると思われるのです。    言葉は7~10万年前に登場し、大きな認知革命を引き起こしました。重さがなく、どこにでも持ち運びできる言葉は、遠くにあって見えないもの、すでに起こってしまって体験できなかったことを伝えることができます。しかし、言葉は論理的・抽象的で多くのものを削ぎ落とすので、想像によってそれを補うときに誤解が生じます。アートも言葉と同じように今ここには無いものやことを伝える機能を持ちますが、それを具象によって非論理的に伝えるために、驚きや気づきが生じるのです。 《言葉がもたらしたもの》 見えないものを見せる重さがなく、持ち運び可能名前をつけて分類する違うものをいっしょにする物語を作り、共有する能力架空なものを描く能力    つまり、アートも言葉も自分が不在の世界を示し、想像力や創造力をかきたてるのですが、それぞれが違う機能を持っている相補的なコミュニケーションなのです。言葉の世界でAIが進化しているように、アートも目覚ましい発展を遂げています。さらに、世界では現代アートが牽引する第2のジャポニスムが広がりを見せ、韓国をはじめとするアジアのアートに注目が集まっています。   実際、「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」でも、アジアの新進気鋭のアーティストが多数参加しました。芸術祭の中で7月に開催されたアートフェア「Study × PLAS : Asia Art Fair」は、韓国のギャラリーPLASとの共同開催によるもので、韓国からは約40軒ものギャラリーが訪日し、その熱気を大阪に届けてくれました。 アートフェア「Study...

アートが拓く知的創造の世界に参加しよう|山極壽一(総合地球環境学研究所・所長)

山極壽一(総合地球環境学研究所・所長) 今、大阪ではEXPO2025と連携して「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」が開催されています。「ソーシャルインパクト」をコンセプトに、24の国と地域から100組以上のアーティストが参加して、大阪各地で展覧会や万博会場内で13か所にパブリックアートを展示しています。この取り組みはクリエイティブ・エコノミー(文化芸術、デザイン、広告、ファッション、ソフトウェア等、知的財産を基盤とする産業)を次代の基幹産業と捉え、スタートアップ向けのビジネスコンテストや支援プログラム「StARTs UPs」を実施し、新たな雇用や事業創出にもつなげる、これまでにはない野心的な試みです。ぜひ、どこかの会場をのぞいていただきたいと思います。 船場エクセルビル企画展「Re: Human ─ 新しい人間の条件」より作品 シュウゾウ・アヅチ・ガリバー《甘い生活/乙女座》   そもそも、アートは人類が言葉で世界を理解しようとするずっと前に登場しました。いや、人類以前から存在したと言っても過言ではありません。クジャクの羽を例に出すまでもなく、ライオンの鬣やゴリラの白銀の背など、哺乳類や鳥類のオスには派手な色彩や形を持つ外観が備わっています。これらは、目立っていても外敵にやられずに健康であるオスの強さのアピールとして、メスに選択されてきたことを示しています。しかし、これらは取り外すことのできない特徴です。人間はそれを取り外しの効く衣装として創造したことがアートにつながったのではないかと私は思っています。   人類が最初に手にした人類らしい特徴は直立二足歩行でした。立って歩くことは自己主張でもあったはずで、その後に現れた様々な石器はやがて左右対称の美しい形になっていきました。中には使用痕のない石器もあり、これらはシンボルとしての機能を持つようになったと考えられます。   人類の脳は200万年前にゴリラの脳サイズを超えて大きくなり始めますが、これは集団規模の拡大と同期していたと言われています。つまり、仲間の数が増え、活動範囲が広がる中で、そこに無いものを想像する力が増加し、見えない世界を解釈したいという欲望が強まったのです。アートの制作もこのパラレルワールドへの願望を反映していると思われるのです。    言葉は7~10万年前に登場し、大きな認知革命を引き起こしました。重さがなく、どこにでも持ち運びできる言葉は、遠くにあって見えないもの、すでに起こってしまって体験できなかったことを伝えることができます。しかし、言葉は論理的・抽象的で多くのものを削ぎ落とすので、想像によってそれを補うときに誤解が生じます。アートも言葉と同じように今ここには無いものやことを伝える機能を持ちますが、それを具象によって非論理的に伝えるために、驚きや気づきが生じるのです。 《言葉がもたらしたもの》 見えないものを見せる重さがなく、持ち運び可能名前をつけて分類する違うものをいっしょにする物語を作り、共有する能力架空なものを描く能力    つまり、アートも言葉も自分が不在の世界を示し、想像力や創造力をかきたてるのですが、それぞれが違う機能を持っている相補的なコミュニケーションなのです。言葉の世界でAIが進化しているように、アートも目覚ましい発展を遂げています。さらに、世界では現代アートが牽引する第2のジャポニスムが広がりを見せ、韓国をはじめとするアジアのアートに注目が集まっています。   実際、「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」でも、アジアの新進気鋭のアーティストが多数参加しました。芸術祭の中で7月に開催されたアートフェア「Study × PLAS : Asia Art Fair」は、韓国のギャラリーPLASとの共同開催によるもので、韓国からは約40軒ものギャラリーが訪日し、その熱気を大阪に届けてくれました。 アートフェア「Study...

「Study:大阪関西国際芸術祭2025」見聞記|坂上 義太郎(BBプラザ美術館名誉顧問・元伊丹市立美術館館長)

「Study:大阪関西国際芸術祭2025」見聞記|坂上 義太郎(BBプラザ美術館名誉顧問・元伊...

奥中章人《INTER-WORLD/Cocooner: Apparent motion of celestial bodies》   坂上 義太郎BBプラザ美術館名誉顧問・元伊丹市立美術館館長 ●はじめに  1990年代以降、加速する国際化の中で現代美術が固定化、空洞化し、生活から遠くなり、歴史とも離れているのではないだろうか。 私は、社会の価値観の多様化の中、私たち先人の築いてきた「文化・芸術の伝統」を継承し、社会事象をも作品へ映し出す作家たちが、「Study:大阪関西国際芸術祭」に集い、制作発表した多くの作品を観る機会を得た。 大阪・関西万博の開催に合わせて、「Study:大阪関西国際芸術祭2025」が、世界20ヶ国余りのアーティストを迎え、「ソーシャルインパクト」をテーマに据え、文化芸術による経済活 性化や現在の社会課題などの可視化を目指し、大阪市内の各会場で観客との対話や出会いの場を設えていた。   ●第1章 多様なる世界へのいざない  EXPO PUBLIC ART  私は、今夏大阪市内の四ヶ所の会場を訪ねた。先ず人工島「夢洲(ゆめしま)」の万博会場に設置された幾つかのパブリックアートを紹介したい。コンセプトは、“多様なる世界への誘い” 。因みにパブリックアートとは、1960年代のアメリカで生まれた言葉であり、“公共空間の芸術作品”と読み替えることが出来るが、その意味は極めて曖昧でもある。 大屋根リングを背にした森万里子の螺施状の《Cycloid Ⅲ》は、素材のアルミニウムが白く輝き、作品の上昇指向と共にメビウスの帯のようにも映えて清清しい彫刻作品だ。Cycloid(サイクロイド)とは、円がある規則のもとで回 転する時に描く軌跡の総称とのこと。 序でながら、パブリックアートは立体造形作品のみを指すのではない。そんな一つの例がハシグチリンタロウの《anima harmonizer》と題した横長の壁画だ。題名は、「魂を調和させ、奏でる者」を意味する造語とのこと。黒をベースに白の塗料で、スピード感溢れる線描画には、作家が語る「塗料から生まれる生き物としての文字」が、一気呵成に白の塗料をして狂喜乱舞する景色のように映る。   田﨑飛鳥《森の道ー青い森》  作品設置場所に植樹された木々を前に、田﨑飛鳥による全長約13メートルの巨大壁面アート《森の道ー青い森》は、圧巻の虚実空間を生んでいる。私は、作品を鑑賞しながら、田﨑が語る「色は心が聞いている」という言葉を反芻していた。私たちは、直立する木木を前にした壁面へ描かれた木木を見詰めていると、不可思議な世界へ誘われていることに気付くだろう。 今回のパブリックアートの中で、作品内に入ることが出来る《INTER-WORLD/Cocooner:Apparent motion of celestial bodies》(Cocoonerは俗語)は、 周囲へ異彩を放っている。楕円形の作品は、...

「Study:大阪関西国際芸術祭2025」見聞記|坂上 義太郎(BBプラザ美術館名誉顧問・元伊...

奥中章人《INTER-WORLD/Cocooner: Apparent motion of celestial bodies》   坂上 義太郎BBプラザ美術館名誉顧問・元伊丹市立美術館館長 ●はじめに  1990年代以降、加速する国際化の中で現代美術が固定化、空洞化し、生活から遠くなり、歴史とも離れているのではないだろうか。 私は、社会の価値観の多様化の中、私たち先人の築いてきた「文化・芸術の伝統」を継承し、社会事象をも作品へ映し出す作家たちが、「Study:大阪関西国際芸術祭」に集い、制作発表した多くの作品を観る機会を得た。 大阪・関西万博の開催に合わせて、「Study:大阪関西国際芸術祭2025」が、世界20ヶ国余りのアーティストを迎え、「ソーシャルインパクト」をテーマに据え、文化芸術による経済活 性化や現在の社会課題などの可視化を目指し、大阪市内の各会場で観客との対話や出会いの場を設えていた。   ●第1章 多様なる世界へのいざない  EXPO PUBLIC ART  私は、今夏大阪市内の四ヶ所の会場を訪ねた。先ず人工島「夢洲(ゆめしま)」の万博会場に設置された幾つかのパブリックアートを紹介したい。コンセプトは、“多様なる世界への誘い” 。因みにパブリックアートとは、1960年代のアメリカで生まれた言葉であり、“公共空間の芸術作品”と読み替えることが出来るが、その意味は極めて曖昧でもある。 大屋根リングを背にした森万里子の螺施状の《Cycloid Ⅲ》は、素材のアルミニウムが白く輝き、作品の上昇指向と共にメビウスの帯のようにも映えて清清しい彫刻作品だ。Cycloid(サイクロイド)とは、円がある規則のもとで回 転する時に描く軌跡の総称とのこと。 序でながら、パブリックアートは立体造形作品のみを指すのではない。そんな一つの例がハシグチリンタロウの《anima harmonizer》と題した横長の壁画だ。題名は、「魂を調和させ、奏でる者」を意味する造語とのこと。黒をベースに白の塗料で、スピード感溢れる線描画には、作家が語る「塗料から生まれる生き物としての文字」が、一気呵成に白の塗料をして狂喜乱舞する景色のように映る。   田﨑飛鳥《森の道ー青い森》  作品設置場所に植樹された木々を前に、田﨑飛鳥による全長約13メートルの巨大壁面アート《森の道ー青い森》は、圧巻の虚実空間を生んでいる。私は、作品を鑑賞しながら、田﨑が語る「色は心が聞いている」という言葉を反芻していた。私たちは、直立する木木を前にした壁面へ描かれた木木を見詰めていると、不可思議な世界へ誘われていることに気付くだろう。 今回のパブリックアートの中で、作品内に入ることが出来る《INTER-WORLD/Cocooner:Apparent motion of celestial bodies》(Cocoonerは俗語)は、 周囲へ異彩を放っている。楕円形の作品は、...